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批判とは何か

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「批判すべきではない」
「批判はしてもいい、むしろすべきだ」
「ありがたい批判もあるし、悪意ある批判もある」
「知り合いからの批判は愛のムチだと思うけど、知らない人から批判されても……」
などという議論がよく見られる。

恐らく、「批判」という言葉をきちんと理解できていれば、そのような議論や混乱は起きない。

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この世にはいろんな単語があり、微妙に異なる意味合いを表現するためには語彙力が必要だ。
しかし、活字離れの影響なのか知らないが、様々な単語の意味を大雑把に分類し、ニュアンスの異なる単語も一括りに同じ意味として捉え、言葉の意味を取り違えてしまう人が少なくない。
だから、お互いの主張が正しいのに、というより突き詰めれば同じ主張をしているのに、伝わらない・理解できないために無駄な言い争いが起きるのだ。

 

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批判とは何か

「批判」に良くないイメージを持っている場合、「批判」「非難」「誹謗中傷」「罵倒」「悪口」「攻撃」「悪意」といったものを区別できていないのではないだろうか。


「批判」には本来、誹謗中傷するとか、強い口調で言い負かすというような意味は含まれていない。
批判」とは、判定・評価すること(良いと評価することも含まれる)。
または、相手の間違いや悪い部分を(論理的に)指摘して改善を求めることだ。

例:食堂に来た料理評論家「味が薄いし、炒めすぎていて、食感のアクセントもなく全体的にぼんやりした印象。もう少し調味料を入れて、野菜のシャキシャキ感が残るように炒める時間を短くしたら良くなるのでは」

客観的に評価して正しく指摘。侮蔑的な言葉を遣わずに論理的・理性的に伝えることができてこそ、「批判」なのだ。


ただ相手をけなしたい、攻撃したいだけの悪口は、批判ではない。
それは「非難(批難)」と言う。
非難」とは、相手への攻撃を目的として悪い部分や気に食わない部分を(感情的に)責めること

例:「こんなマズい料理を人に食わせるなんてバカじゃねぇの!? こんなものしか作れないのによく店を出そうと思ったね」

他人のミスや問題点、または単に気に入らない部分を攻撃の材料にする。自分の感情を押し付け、相手にダメージを与えることだけが目的になっている

世の中で「批判する人の気が知れない」「批判はやめましょう」「悪い批判」などと言われていることは、大抵「非難」についての話なのである。

何度も書くが、批判は「悪い部分を指摘して改善を求めること」。それは、いけないことではなく、むしろありがたいはずだ。指摘がなければ、気づかずにずっと悪い状態を継続していたかもしれない。
だからこそ、「批判を受け入れなさい」「批判されることは成長に繋がる」などと言われることがある。これらは別に「攻撃に耐えられるよう精神を強くしなさい」という意味ではない。自分の悪いところを指摘されたときに、恥ずかしさや意地のせいで反発したり感情的になったり過度に落ち込んだりせず、素直に聞き入れて直すべきところは直すようにしなさいという話だ。

それを誤解して「批判されて心折れるほうが悪い」と自分を正当化し、「これは批判である」という大義名分で相手を攻撃する人もいる(「お前のために批判してやっている」というような言葉と共に、ただただ侮辱しているだけの人やツイートを見たことがある)。
言葉を正しく理解しないと、自分では良いことをしているつもりで悪いことをしてしまう場合もあると考えると、きちんと言葉の意味を認識することは大切だと言える。

 

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 批判はある程度の知識や能力がないとできない

「不味い」「つまらない」「ムカつく」などは、個人的な感情でしかない。どうしてそう感じたか、原因を論理的に説明し、根拠を提示することが必要になる。

「批判」は、強い口調である必要はない。穏やかに指摘することは可能だ。
でも相手の言動があまりにも酷くて怒りが湧き、強い言い方で批判してしまうこともあるかもしれない。いくら正しい指摘であっても、言い方が乱暴で相手を傷つけるような悪口と一緒であれば、それは非難混じり、あるいはただの非難と捉えられても仕方ない。
改善を求める・問題点をなくしてほしいと意見することは、相手のことを思っている仲間だったり、相手の提供するサービスを自分が快適に利用できるようにという相互利益が目的だったり、つまり味方のはずなのだ。侮辱の言葉を並べて攻撃すれば、敵とみなされてしまう。
逆に言えば、相手のことが大嫌いで敵視していて相手の悪い部分が改善しようがしまいがどうでもよい、ただ文句を言いたいだけという状態では、「批判」をするのはほぼ不可能だ。
本当に聞いてほしい要望があるなら、人格を否定したり、容姿を貶したり、「バカ」だの「これだから○○は」などといった悪口を発しないよう気をつけたい。相手によってはきつく叱ることになるかもしれないが、あくまで問題点の改善が目的だったはずなのに、いつの間にか相手を攻撃して傷つけることに必死になっていないか、自分を分析できる冷静さも必要だ。

 

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 批判を相手が受け入れるかどうかは相手次第

例えば、料理研究家から批判された野菜炒めも、地元の人には「これぞこの店の味」と愛される一品かもしれない。
別な例をあげるなら、ある女優のファンが、女優のためを思って「イメージを守るために、また反感を買わないように、彼氏とのラブラブな写真をアップするのは控えたほうがよい。数少ない前例は○○のような例外のために受け入れられたのであって……」などと、冷静に論理的に指摘したとする。しかし「イメージ」を壊すことや「彼氏とのラブラブな写真をアップする」ことは犯罪でも危険行為でも迷惑行為でもない(嫉妬によって不快に思う人もいるかもしれないが)ので、判断は本人に委ねられることになる。
何を不快に感じるかは個人差があり、全ての人に満足してもらえる言動など存在しないと言っても過言ではない。批判した側は自分の意見を正しい主張だと思っても、相手も同意するかどうかはわからない。

 

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 言葉の意味を正しく認識することは平和に繋がる

辞典によっては、「批判」の意味に「改善を求めて指摘すること、転じて非難や攻撃をすること」という説明が加えられているようだ。
ら抜き言葉が印刷物にも堂々と遣われるようになるなど、言葉の意味や遣われ方は日々変わっていく。しかし、「そんな細かいことはどうでもいいじゃないか。間違えている人が多いなら、これからはそちらを正しいことにすればいいのだ」という考え方が蔓延してしまうと、正しい意味で認識していた人と、間違った意味で覚えた人とで会話が成立しなくなってしまう。
微妙なニュアンスどころか、大きく異なることまで一纏めにしてひとつの言葉で表現するようになれば、誤解も起きやすくなり、イライラする人が増え、争いが始まる。

正確に伝え、正確に受け取ることはとても大切なことだと思う。

 

 

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言葉を正しく遣えと言いながら、私も全知全能ではないので誤った遣い方をしていたらごめんなさい……そのときは非難じゃなくて優しく指摘してくださいね……