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断言する人を信じるのは危険かもしれない

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「絶対」と言う人と「多分」と言う人がいたら、どちらを信じる?


自信に満ち溢れた顔で断言している姿を見たら、
「それだけハッキリ言うってことは、確証があるんだろうなぁ」
と、信頼しやすい。

文章の書き方や話し方の指導でも、「~だと思います」「~しようと思います」という文末にすると「~です」「します」と断定形を用いるように注意されるだろう。そのほうが、伝える側の自信や話の確かさを感じて、受け手の安心や信頼に繋がるからだ。

堂々と自信を持って断言する人の話には、説得力がある。

「多分~だと思う」と言う人よりも、断言する人の話を信じる。そう判断する人は多いだろう。

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断言にもいろいろある。

例えば、ヤル気の表現として、
「私にはこういう堅い意志があります、必ずやり遂げます! だから皆さん協力してください!」
というような断言をするのであれば、本気度が伝わって良い。
「頑張りたいと思います」「多分頑張れる気がします」よりも「頑張ります」と言ったほうが、信頼しよう・応援しようと心が動かされやすくなる。

また、条件付きの断言として
「この報道に誤りがないのであれば、ひどい話だ」
「もしxが2なら、yの値は4です」
と言うこともある。
この場合、条件が変わればもちろん結論や答えも変わる。

ただ、まだ誰も見たことがないはずの未来や、証拠のない事案について、
「きっとこうなるでしょう」「恐らく○○ではないか」ではなく「絶対にこうだ」と断言する人には気をつけたほうがいい。

 

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「信頼を得るため、話に説得力を持たせるためには断定形で話しましょう」というアドバイスが世に広まっているとおり、そういう話し方をされると素直に受け取ってしまいやすくなる。そういう話術を悪用して、高額なものを売りつけたりお金を騙し取ったりする人がいるので気をつけましょう……というのもそれはそれで気をつけなければいけないことだが、今回書きたいのはそういうことではない。

「神の予言の書に書いてあるので必ず近い将来こんなことが起きます」というのも、まぁ今回の話にちょっとかぶるところはあるかもしれないが、そういう話をしたいのではない。

以下、人によっては「そんなバカいねぇよwww」と思うような事例かもしれない。ただ、逆に自分が出会ったことのない系統の人間にこれから会って迷惑を被る可能性もあるので、「世の中にはそんな奴もいるのか……」と思っていただければ。

 

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昔の職場にめちゃくちゃおしゃべりなオバサンがいた。

仕事中も無駄話ばかり、昼休みになると更にマシンガントークが止まらない人で、仕事中にネットサーフィンで観た芸能ニュースや、前日に観たワイドショーの話を延々と喋っている人だった。

『被害者の女性は事件直前に元恋人と会う約束をしており……』みたいな殺人事件があれば、オバサンは
「絶対その元カレが犯人だよ! 私にはわかる!」
と力強く断言する。
証拠がないから逮捕されてないんじゃないですか、まだ判らないじゃないですか、と同僚たちがやんわりとたしなめても、「早く逮捕しちゃえばいいのに!!」と言い放つので、思わず失笑してしまうこともあった。

そして、のちのち証拠が出たのか元恋人が逮捕されると、
「ほーら、私の言った通りでしょ! みんなは判らないって言ってたけど、私にはわかるの!」

そうじゃないんだよなぁ……。でも、本人は気づいていない。


さて、オバサンの何が間違っているのか……、クイズにしなくても明らかだとは思うが、記事後半にまとめたいと思う。

世の中の、不確実なことを断言してしまう人も、結局のところはこのオバサンと同じなのだ。

 

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うちの父親の話もしておこう。

父は正直あまり頭がよくない。
東日本大震災震度6強の揺れに襲われた後、どこの店も売るものがなくて閉まっている状態なのに、家にある食料を普段通りパクパクお腹いっぱい食べ、注意したら「じゃあ自分の食べるものは自分で買ってくる」と貴重なガソリンを使って車で外出、何も手に入らず手ぶらで帰宅するような人であることを念頭に置いて読んでほしい。(あのときはマジで、この人のせいで死ぬかもしれないと思った)

震災後しばらくして混乱も落ち着き、普通の買い物ができる状態になったある日、私たち家族はホームセンターにいた。
耐震グッズを見ていた私に、父は言った。
「そんなもんいらねぇ、もう大地震は来ないから」

父の言い分はこうだ。
「デカい地震が1回あったんだから、もう俺が生きてる間は俺が被害を受けるような地域に大地震は来ない。連続して来るわけがない」

父は、雷が鳴っても平気で電化製品を使うし、外も歩く。
コンセントに繋いでいると壊れるかもしれないからと家族が電源プラグを抜いても、今使わない機器まで舌打ちしながら挿し直す。

外出は危ないと注意しても「大丈夫だよ」と言って出て行き、帰宅すると「ほら、大丈夫だったろ」。

父の言い分はこうだ。
「俺は今まで雷に打たれたことがない。だからこれからも打たれない」


唖然としてしまう言い分だが、これらは私の勝手な解釈ではない。地震についても雷についても、父親の口から実際に発された言葉なのである。あな恐ろし。

 

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 犯人はこいつだ、と断言したオバサンも、うちの父親も、

「自分にはわかる! 自分はすごい!」
「自分の予感はいつも的中する! なんとなくわかっちゃう! 勘が鋭いんだ!」
と思い込んでいる。

しかし実際は2人とも、考えが足りていないからこそ断言できてしまうのだ。


「なんとなくわかっちゃう」のは、今までの経験や聞いた話をもとに、起きやすい事柄(よくあること)・起こりにくい事柄(珍しいこと)をざっくり分類しているから。

例えば、何かトリックでもない限り、大抵は殺人事件の被害者が最後に会った人こそ犯人である。だから最後に会ったと思われる人物がまず疑われるのは当然。

そんなことは みんな わかっている。しかし、証拠がない時点で犯人を決めつけるのは早計であることも知っているからこそ「まだわからない」と言い、どんなに怪しい人でも「この人が犯人だ」とは断言しないようにしているのだ。

雷に打たれる確率は、宝くじの1等に当たる確率と同じくらいだと言われている。確率としては非常に低い、珍しいことだ。自分が打たれた、もしくは雷に打たれた人が身近にいるという人はごくごく少数だろう。

しかし、物事には「万が一」という、確率的には低いものの絶対にないとは言い切れないことがある。
「どんなにあり得ないように思えても、全ての不可能を消して残ったものが真実」とかそんなような、シャーロック・ホームズのセリフもある。
多分シャーロックの言葉を借りたんだと思うけど、コナンくんも言ってた。
「事実は小説より奇なり」という言葉もある。
意外なこと、想像をはるかに超えることは起き得る。
確率が低くても、ゼロ%でない限り、起き得るのだ。

しかし、オバサンも、うちの父も、

確率的に起きやすいことであれば「絶対こうなる!
珍しいことについては「そんなことになるわけがない

と決めつける。

非常に確率の高いほうを選んでいる(それしか思いつかない)ので、そりゃ大抵は当たる

それで「自分すごい! みんなが『多分』とか『まだ判らない』って言ってたことが直感でわかっちゃった!」と思ってしまう。

なぜ「みんなが『多分』とか『まだ判らない』って言ってた」のか、という部分が重要なのだが、それに気づけないために、不確定の事柄について断言できてしまうのだ。

めちゃくちゃ確実な情報を持っているわけでもないのに断言できる人は、「可能性が高いこと」「確率が高いこと」しか思いついていないだけなのである。

もしくは、「確率は非常に低いが極稀に起き得ること」を知っていても、そんな珍しいことが起きるわけないとか、自分は大丈夫という根拠なき謎の絶対的自信を持っている。

そういった思い込みの激しさについては↓こちら↓にも書いてます

gatamaro.hatenablog.com

「第一発見者」「被害者と最後に連絡を取った」「見た目が胡散臭い」「なんとなく怪しい」というだけで、何もしていない自分が犯人扱いされたらどう感じるだろうか?
証拠もなく断定することの残酷さ、浅はかさについて理解してほしいものだ。

とある報道番組の司会者が番組放送中に、殺人事件の被害者の父親を怪しみ、犯人かのような発言をして、のちに別人が逮捕され謝罪するという出来事があった。わりと大きく取り上げられていたと思うが、あんなに芸能ニュースやワイドショーばかり見ているオバサンは知らなかったのだろうか。自分に当てはめて考えることはできなかったのだろうか。

 

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未来について断言するなど、なかなかできることではない。

「想定外でした」という言い訳を聞くとき、「本当に想定できなかったのだろうか? 想定の範囲が狭すぎたのでは? まさか問題は起きないだろうと高をくくっていたのでは?」と思えることもある。

オバサンや父のように自分の「勘」「予知能力」を信じている人は、いざそれが外れたとき、決まってこう言い訳する。
「だってまさかこんなことになるなんて思わないじゃん」
「普通こんなこと起きないもん、予想できるわけがない」
もし自分の発言で何かを決定した人がいても、責任を取る気などない。
今回の出来事は普通じゃなかったから仕方ないじゃないか、という理由で自分を正当化してしまうのだ。
いいえ、ちゃんと考えていれば、いろんな可能性を想定できるんですよ……。

もちろん予測するにはそれ相応の知識や経験が必要。
だから、自分にその分野の知識や経験がないと自覚していれば、なおさら断言することなどできないはずなのだ。

 

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さすがにオバサンや父の考え方は極端だし、おかしいことを言っているのが分かりやすいと思う。
しかし世の中には、もっともらしく「私にはわかるんです!」「あなたは間違っている!」などと証拠もなく断言する人がいる。オバサンや父のことは日頃から見て知っているから「また言ってるよ」で済むのだが、仕事で初めて会う人だったり、テレビに出ている人が自信満々で何かを主張していたら、どうだろうか。
そういう人たちは相手を騙そうとしているわけではなく、自分の考えの正しさを心から信じて発言しているために、聞いている側も信じ込みやすい。

だから、断言する人の話の信憑性を「あんなにハッキリと断言しているから(きっとそれだけの裏付けがあるのだろう)」という理由だけで判断してはいけない。どんな証拠を発見したのですか? と尋ねたら「私の勘は当たるから」と、ただそれだけの場合もある。
独特な着眼点で、普通なら気づかない部分に気づけて、そこから得た情報を分析し、たった1つの真実を見抜けてしまう有能な人も存在するだろう。瞬時に見抜いて「ピンと来る」ことを「勘」と呼んでいるのかもしれない。しかし「私にはわかる」と言う人全員がそうかといったら、残念ながらそれはない(これは断言できる)。
答えが1つしかないことを推理するならともかく、複数の可能性があってどれも起き得るのに「絶対これしかない」と断言してしまうとしたら、それは有能とは違うのではないだろうか。

誰を、何を信じるかは自己責任。
「目の前の人がもっともらしい話をしている」
Twitterで面白い話題が流れてきて沢山の人がリツイートしている」
その内容をすぐに鵜呑みにせず、できる範囲で確認することが大切だ。


そして、もしも自分自身が、確率の非常に高いことしか想定していないと気づいたなら、これからの生活で気をつけよう。

なんの証拠もないのに、
「絶対○○に決まってる」
「そんなことあるわけない」
「私にはわかる」
「ほら、言った通りでしょ」
といったセリフを口癖のように言ってしまう覚えがあるなら要注意だ。

確率的に高い低いと予想することはできても、低いほうが現実になる可能性もある。
可能性が非常に高くても、他の可能性がある限り「絶対」と言い切れることはないということを忘れないでほしい。

 

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実を言うと、父親だけでなく私の母親も「私にはわかる」と言って見当違いのことを言い出す人なので、私はよく親の感覚に染まらずに育つことができたなぁと思いかけたが、当然だ。私が正直に話していることを頭ごなしに否定され、「私にはわかる。あんたは嘘をついてる。本当はこうだったんでしょ」と言われるのだから。親が間違っているのは明白である。
親を反面教師とするというのはなんとも悲しいことだが、悪いことをしていないのに悪者扱いされたり、正直に話しているのに嘘つき呼ばわりされたりした経験のおかげで、私は憶測だけで断定することのないよう気をつけて生きている。

「私にはわかる」なんて発言をする人は大抵、思い込みが激しいだけなのだ。私にはわかる。

 

人を信じることに関しては↓こちら↓にも書いています

gatamaro.hatenablog.com