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「毒親」という言葉を拒絶する人へ

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「私は毒親に育てられた」

「世の中には毒親が存在する」

といった話をすると、「毒親」という言葉に拒絶反応を示す人や、親としての自分を責められているように感じてしまう人が多いなぁと思う。

 「毒親」という言葉に誤解のないように、そして毒親に育てられる苦しみを少しでもわかってもらえたらと、2016年8月、別ブログに文章を書いた。そのブログを閉鎖することにしたので、多少加筆修正してこちらに残しておく。

 

ー ー ー ✂ ー ー ー ー ✂ ー ー ー 

 

 

毒親に育てられたと言うと、
「厳しく育てられたことに文句を言うなんて」
「親不孝」
「親に対して感謝の気持ちは無いのか」
といった反応をする人がいます。

しかし、
子どものためを思って厳しく育てる親と、子どもに悪影響を与える毒親は、全く違います。

そこを誤り、本当に毒親に苦しめられている若者に「親を悪く言うな」という大人がいたり、ただただ子どものためを思って何かを禁止したり叱ったりする親に対して「ウチの親は毒親~最悪~」と言い始める若者がいたりするので厄介です。

 

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子どもを愛する親と、毒親の違い

毒親は、とにかく自己中心的。子どもを「人格のある一人の人間」として認められず「所有物・道具」と勘違いしている、子どもに悪影響を与える親です。

毒親が重要視するのは、子どもの気持ちや子どもの将来ではなく、親自身の利益や都合、満足、保身、不安解消。

例えば、

  • 子どもを支配しようとする。過干渉
  • 子どもの幸せを喜べない。自分より幸せそうだと嫉妬し邪魔をする
  • 子どもに依存する
  • 暴力をふるう
  • 脅迫、否定的な言葉を浴びせるなど言葉の攻撃
  • 育児放棄
  • 性的虐待

などといったことがあります。
過剰に手出ししたり、逆にネグレクトだったりと正反対のタイプがあるので、上記の全てを満たさずとも、当てはまるものがひとつだけであっても毒親毒親です。
操るにせよ放置するにせよ、毒親には「子どもは自分の持ち物なのだから自分の好きに扱ってよい」という考え方が共通しています。

毒親には、自分が毒親であるという自覚がない場合が多く、むしろ自分の行為は子どもを愛している証拠、子どものためと思い込んでいることも少なくありません。

しかし、毒親は自分の満足を中心に考えるので、子どもの将来や幸せについて考慮していません

愛のある親がする子育ては、
いずれ自分がいなくなっても、残された子どもが自立して生きていけるように育てること
子ども本人が自分の生きる道を選び、幸せに生きていけるようにする手助け
がベースにある
はずです。

 

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「あなたが選んだのよ」という言葉の呪い

親のおかしな言動を愚痴ると、
「でも、その親を選んであなたは生まれてきたのよ
なんて言う人が、今の時代にもいて驚きます。
「あなたが選んだ親なのだから、悪く言ったり恨んだりしては駄目」

親から虐待を受けて死んだ子どもの墓前で、同じことを言えますか?

極端な例を挙げるなと思う人もいるでしょうが、決して極端ではありません。
子どもが現在生きているかいないかで話の受け取り方を変えようとする方には、次の項「『育ててもらったことに感謝しろ』という言葉の呪い」をお読みいただきたいです。

大人になっても消えないトラウマを抱えて生きる人生を、自分で選ぶと思いますか?

当たり前のことを書きますが、子どもは親を選べません。

百歩、いえ千歩、1億歩譲って、自分で選べたとしても、「あなたが選んだのだから変更不可」などという理不尽な理由づけをしてはいけません。
ブラック企業を選んだのはあなたなのだから、その会社を愛して一生を捧げなさい」と言いますか?
そんな会社は今すぐ辞めろ、とアドバイスするものではないでしょうか。

状況によって、親子であろうとも離れて暮らす、親子関係をやめるという選択が最善な場合も多々あります。

「お父さんとお母さんを選んで生まれてきたんだよ!」
というのは、幸せいっぱいの家庭に生まれた子どもが親に言うセリフであって、親を愛さなければならないと言い聞かせるための言葉ではありません。

 

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「育ててもらったことに感謝しろ」という言葉の呪い

「どんな親であれ、その年齢になるまで育ててくれたことに感謝はないのか
と言う人もいます。

それは、例えば、誘拐されて殺されずに恐怖の中で何年も監禁された人に
「生かしておいてくれてありがとうございます、と犯人に対して感謝の念を持ちなさい」
「ご飯もらってたんでしょ? 大事にされてたじゃん」
と言うのと似ています。

「死なずにこの年齢まで生きてこられた」かもしれませんが、毒親を持つ子どもは、生きているがゆえに生き地獄を味わっているのです。

愛情のない家庭で、または歪んだ愛情にがんじがらめにされて、望まないものを強制させられて生活してきた日々の苦しみは無視できません。


精神的にはひどい傷を負ったけれども、毎日きちんと食事を与えられ、世間体のためとはいえ高校や大学に通わせてもらったなど、「部分的」「結果的」にはお世話になったこともあるかもしれません。

しかし、だからといって精神的なダメージがチャラになるということはありません。

虐待された子どもへ
その歳まで育ててくれた親に感謝できないのか
という言葉を浴びせるのは、
「その歳まで衣食住を与えてもらって生きているのだから、虐待を受けても文句を言うな
と言っていることになります。


「愛情が湧かず、本当は育てたくなかったが、世間体を考えると殺すことも追い出すこともできなかった」
という親に育てられた子どもは、その親に育てられて幸せだったと言えるでしょうか。

毎日刃物を突きつけられ、いつ刺されてもおかしくない毎日を過ごしていたとしたら、

悪いことをしたわけでもないのに、親の虫の居所が悪いというだけで毎日のように罵声を浴びせられていたら、

それでも感謝の念を持てと言えますか。

親が信じている新興宗教に強制的に入信させられ、毎日「ありがたいお話」を延々と聞かされたり、儀式に参加させられたりして、やりたいこともできない毎日だったらどうですか。

強烈な例え話に思えるかもしれませんが、こういう親子関係は意外と身近にあるものです。
信じられませんか? 家庭という閉鎖空間の中で起きていることは、外から見えにくいだけです。

とにかく、命があるからといって、愛されて育ったという証明にはなりません。

親が産んでくれたから今あなたがいるんだよ
『産んでくれと頼んだ覚えはない』なんて言うもんじゃない

「子どもの希望が全く叶わない」「産んであげたのだから親が絶対支配者」という家庭において、子どもが「生まれてこなければよかった」「産んでくれなんて頼んでない」と思ってしまうのは至極当然です。
親の満足のために生まれても、子どもは幸せになれません。

逆に、毒親にもなると「あんた、なんで生まれてきたの?」なんて言うこともあります。自分のエゴで産んだにも関わらず、気に食わないことがあると子どものせいにするのです。

 

あなたが産んだんですけど
こちらが訊きたいんですけど

???????

 
親のエゴで存在させられ、親の勝手な期待が外れると要らないと言われる。
毒親の子どもは、親を満足させることだけ求められるのです。

「命があるだけで幸せ」という固定観念で、子どもの苦しみをなかったことにしないでください。

生きたいのに生きられない人が「人は生きているだけで奇跡」と言うのは心に響きますし、もちろんその通りなのですが、生きる希望を奪われた者とは置かれている状況がまったく違います。一緒くたにするべきではありません。

 

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過干渉は虐待の一種

毒親という言葉を拒絶する人でも、虐待と聞けば多少は同情するのではないでしょうか。
身体的暴力やネグレクトのような極端なものであれば、それは酷いことだと誰でもわかるでしょう。

しかし、過干渉な親は、傍目から見ると
「子どものことを1番に考える良い親御さん」
と誤解されやすいものです。

その子どもが周りの大人たちに「親に問題がある」と訴えても
「あなたのことを大事に思っているからだよ」
「そんなお母さん(お父さん)を悪く言ってはいけないよ」
と言われてしまう。

しかし、大げさでもなんでもなく、過干渉は虐待とされています

過干渉とは、子どもを1人の人間と認めず、親が絶対的支配をすることです。
善悪だけでなく、人それぞれの自由であるはずの好みや考え方などまでも、親に合わせることを強制し、逆らうことを許しません。

子どもが「これが欲しい」と言っても
「いや、こっちのほうが可愛いからこれにしなさい」
と、親好みの色の服・親好みのおもちゃを買い与え、

子どもがどんなに嫌がっても、強制的に親がさせたい習い事や活動をさせ、

「◯◯ちゃんのために買ってきたのよ! 使いなさい」
「あなたには沢山いいものを買ってあげたのに!」
「あなたのためにいろんな習い事をさせてあげたのに!」
となるのがよくあるパターン。

「あなたのため」と言いながら、実際は親の満足のため。
「~してあげたのに!」は、勝手に見返りを期待し、思い通りにならなかったとき相手に責任転嫁する言葉です。

子どもを支配したい親は、言葉によって子どもをコントロールします。
「言うことを聞かないなら家から追い出すぞ」これは脅迫です。
「あんたは何をやってもダメ」子どもの自尊心を失わせ、親に服従させます。


「過干渉」は、子どもが大人になったときに社会でうまくやっていけなくなる一因となります。

子どもが悪いものを選んでいるわけではなく、単に親の好みでないという理由で子どもの希望をいつもいつも却下し、親が子どもにやってほしいことを強制してばかりいると、

その子どもは

  • いつも親の選択に従わなければならないので、自分で何かをする意欲がなくなる。
  • 自分で選択する経験をさせてもらえないので、判断力・決断力が身に付かない。
  • どうせ聞いてもらえないので自己主張しなくなる。
  • 何かやろう、どこか行こうとするたび、(親自身が監視できないから/親自身に興味のないことだから)親の許可が出ないので、行動力がなくなる。
  • 親の言いなりになっていれば親はいつもニコニコしているので、自分の意志より親の希望を優先させ、いつしか自分の気持ちがわからなくなる。
  • なんでもかんでも親に許可をもらわないといけない生活なので、何をするにも誰かに確認をとり、OKをもらわないと安心できなくなる。自分の判断で勝手に何かすると叱られそうで怖い。
  • 社会に出ると、誰かの指示がないと動けず、相手の顔色をうかがってばかりで、仕事ができない奴とみなされる。
    (学生の頃は先生や親の言うことさえ守っていれば優等生扱いされるので、社会に出て突然大きな挫折を味わう)

そして、あるとき親に
「なんであんたはそんなに優柔不断なの?」
と言われて自己崩壊します。

先にも書きましたが、愛のある親がする子育ては「いずれ自分がいなくなっても、残された子どもが自立して生きていけるように育てること」「子ども本人が自分の生きる道を選び、幸せに生きていけるようにする手助け」がベースにあるはずです。

過干渉な育て方は、子どもの将来を全く考えていません。親が自分の満足を追い求めた結果、子どもはアダルトチルドレンになってしまいます。

 

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「親のせいにするな」という言葉の呪い


上の項のような話をすると、親のせいにするなと言う人がいます。

何においても、自分の努力不足を他に責任転嫁する人が存在するせいで、本当に困っている人までそういう目で見られてしまう問題があります。

経験のない人にはわからないかもしれません。
自由な選択ができない生活。
選択肢すら与えられず、自分の希望も叶わず、言われた通りにしないとキレられたり、ご飯抜きにされる生活。
人間は順応していくしかないのです。

学生生活が終わるまで20年前後そんな生活をして、突然社会に放り出され、大量の選択肢を目の前に出されても選び方がわからない。
何を選んだらどうなるかも、そもそも何を基準にしてどこを見て選べばいいのかも知らない。経験値がほぼゼロなのですから。

自分の親が毒親であること、毒親の支配に順応してはいけないことに気づくには、家庭外でいろんな人と関わる必要があります。
見たことのないものを認識することはできないからです。
しかし、過干渉で支配欲のある毒親は外界との関わりを遮断します。門限夕方5時、友達と遊ばせない、インターネット禁止、バイト禁止など。逆らえば衣食住の保証はありませんし、暴力を受けることもあります。

さらに、自分の親がおかしいと認識できたところで、子どもの力でできることは限られています。
周りの大人に助けを求めても、「親を悪く言うな」「それぞれの家庭でいろいろな育て方があるからねぇ、親のすることに他人が口出しできないよ」と言われてしまうのがオチです。

「自分の親も毒親だったが自力で逃げた。親のせいにするなんて甘い」と思っている人は、本当に自分ひとりで逃げたのでしょうか。だとしたら素晴らしいです。通常は、自分の家庭はおかしいと気づけるだけの外部との接触、少しでも理解し援助してくれる仲間や大人、頼れる情報や逃げ道があって初めて行動を起こせるものです。それらは上記のように親に邪魔されます。
そして、行動が成功するかどうかは運です。せっかく逃げたところで、単なる家出とみなされて親のもとに帰されることもあります。

誘拐・監禁され、逃げようとすれば殺されるという状況で、命をかけて脱出を試みるか、来るかどうかわからない助けを待つか。どちらにしても生き延びられるかどうかは運です。どうやって助かったとしても、失敗しても、それは結果論に過ぎません。その場にいなかった他人が、被害者の行動を責める筋合いはありません。

 

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もちろん心から子どもを愛する親も多い

毒親について話していると、
自分が変な親に育てられたからって、世界中の親を目の敵にするな
といった意見もたまにあります。しかし、毒親が存在するという話は、全ての親を否定していることにはなりません。

心から子どものためを思って子育てをしている、子どものお手本になっている親も沢山いるでしょう。

誰だって親として初心者ですから、失敗や間違いをするのは仕方ありません。
多忙だったり疲労困憊だったりで思わず子どもにあたってしまい、後悔するという話はよく聞きます。
病気のサインにもっと早く気づけたらよかったとか、もっと別の言葉を選んで叱ればよかったとか、そんなことは誰にでもあります。
ミスを全部「毒」と言っていたらキリがありません。
一切失敗しない、完璧な親など存在しません。
基本的にいつも子どもの将来や子どもの気持ちを考え、大事に思っている親は、毒親ではありません。

また、いつも大事に思うとはいえ、1秒たりとも子どものためのこと以外を考えてはいけないということではありません。親自身の人生を豊かにすることも大切です。
いつもいつも愛情深く育てている我が子を、たまに誰かに預けて、自分個人や夫婦の時間を持つのは、全く責められるようなことではありません。

毒親というワードに敏感に反応して「自分のことだろうか……」と不安になるときには、「これは子どものためなのだ」と自分に言い聞かせながら、自分のエゴを押し付けていないかどうかを考えてみてください。
親が良いと思ったものを無理やり押し付け、子どもの気持ちを無視していないかどうか。
子どもが一生懸命やっている活動の動機が、本人が楽しい・やりたいからではなく、「親を喜ばせるため」になっていないかどうか。

そして、そもそも「ちゃんと親としてすべきことができているだろうか」と不安になるのは、きちんと子どものことを考えている証拠です。

大抵の毒親は一貫して自分中心。
やっていることは「自分(親自身)のため、自分の満足のため」ですが、自分が正しいと信じているので後悔などしませんし、自分が間違っていることにもなかなか気づけません。

敏感に「自分のことを言われているのだろうか」と気にする人には問題がなく、「自分は大丈夫」と思う人ほど危険だったりするものです。

もしも、どう考えても明らかに暴力を振るってしまっている自覚があったり、親としてきちんとできていないという不安に苛まれるときには、地方自治体などの相談窓口に電話してみてください。

 

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一般論や願望と、個々の問題は別物

「子どもに対する親の愛は深い」
「家族愛はよいものだ」
といった一般論や、
「きっと話せば親もわかってくれるよ」
「子どもを愛さない親なんているはずがない」
というような希望的観測を、実際に起きている特定の事柄に当てはめようとしないでください。それでは問題は解決しません。

「子どもに対する親の愛は深くない」と言っているのではありません。
全体的・一般的なイメージとして、親は愛情深く子を育てるものであり、それが当たり前。概括的にはそれでかまいません。
しかし全ての親が必ず愛情深いかというと、各家庭を個別に見ていったとき、残念ながらそうではないのです。

毒親」という言葉を受け入れられない人は、もしかすると

  • 一般論と個別の話を混同してしまっている
  • 愛のない親がいるなんてありえないと信じている
  • 自分が親として頑張ってきたことを否定されているように感じる

こういった理由で、「親の愛」を否定されるのが許せないのかもしれません。

毒親が存在するからといって、全ての親の愛情が否定されるわけではありませんから安心してください。

そのうえで、中には、離れないとお互いのためにならない親子もいるということを理解していただきたいのです。


「親のことを悪く言うな」
「親不孝」
「もっと親御さんを大切にしなさい」
「実家を出ても月に○回は顔を見せに帰らないと」
親は子を愛するものだ・子どもは親に感謝すべきだという思い込みにとらわれて、子どもの訴えをよく聞かず、頭ごなしに、無責任にこんなことを言わないでください。

だって毒親だなんて知らなかったんだもん、では済まされません。

状況をよく知らない時点で、叱ったりアドバイスしたりしないでください。


残念ながら、毒親は存在します。

毒親に育てられて苦しんだ人、もしくは現在苦しんでいる子どもへ、更に苦しめる言葉をかけないよう、まずは話をよく聞いてあげてください。