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言葉の意味をきちんと分類しよう

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「ヤバい」「エモい」など、意味が厳密に区切れない、いろんな意味が含まれた言葉が生まれている。
でもこれは昔で言う「いとをかし」「もののあはれ」のようなもので、昔からそのような表現はあったようだ。

「ヤバい」「エモい」のような言葉自体を否定するつもりはない。

しかし、「なんとも言えないこの気持ち」「言葉で言い表せない」というのが、沢山の言葉を知っているうえでなのか、無知だからなのかでだいぶ違う。
知識があって、それでもあえてヤバいと表現するところに面白みがあったりする。
なんかよくわからないから全部ヤバいと言っておけばいいや、というふうになるのはちょっと危険だなと思う。

 

細かい分類を正しく認識できないと、きっと生活に支障が出てくる。

しかし、知っている単語に「あれもこれも、この単語を遣えばなんとなく通じる」と、似た意味まで含めて遣ってしまう人が少なくないように感じる。

もうちょっと細かく分類したほうがいいんじゃないかな、と思う。

 

誤解されやすい言葉、混同されやすい言葉を例にあげてみる。

 

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「羨ましい」

例えば、Aさんが軽く「いいな~」と言っただけで、語彙力のないBさんは悪気なく「Aさんが嫉妬していた」「ねたんでいた」と表現してしまう。それを聞いた他の人はどう思うだろう。
きちんと言葉を分類して覚えないと、誤解を生み、すれ違い、いずれ仲違いに繋がってしまうかもしれない。

また、ネットの匿名Q&Aサービスには、「友達が旅行先からメールを送ってきたので『うらやましいな~楽しんできてね』と返信したら、友達が不機嫌になってしまった」というお悩み相談があった。

羨ましい」とは、「自分もそのようになりたいと思う気持ち」だ。
「羨ましい」と言われて不快になるのは、「ねたましい」と混同しているからかもしれない。
ねたましい」とは、「自分よりも恵まれていたり優れていたりする人が気に入らず、憎らしいと思うこと」。
たしかに辞書によっては「羨ましい」の意味の後半に「ねたましい」が加えられている場合もあるが、「羨む」は「いいな~」という気持ちが主体であり、必ずしも憎らしさが含まれるわけではない。
「羨ましい=ねたましい」だと思い込んでいると、相手の言葉に悪意があると誤解してしまう。
しかし羨ましいという言葉を良く思わない「羨ましい=ねたましい」派がわりと多い。「人を羨むな。人は人、自分は自分」という教育を受けてきたのかもしれない。その教育方針自体は悪くないのだが、羨むことを悪としてしまうと「いいな~=羨ましい=ねたましい」となり、「いいな~」すら不快に感じてしまう。仕方ないのでそういう人を相手にするときは親指を立てるような感じで「いいね~」と言うようにしている。非常に面倒くさい。


また、羨む気持ちを「ずるい」と表現してしまうこともある。
もし、相手が本当に抜け駆けなどの卑怯な手段で、他の人も欲しがっていたものを独り占めしたとなれば、「ずるい」と言うのは妥当だろう。
しかし、その「自分が欲しかったものを人が先に持っていた・自分以外の人がいい思いをした」ということだけが印象に強く残ってしまい、相手が特にズルをしたわけでもない、ただ羨ましいだけの他の状況にまで「ずるい」を遣う癖がついている人もいる。
「ずるい」とは、正しくないとか、ごまかす、悪賢いなど、あまり良くない意味だ。悪くない相手を悪く言うことになってしまうことは避けたいものである。

気の置けない友人間など、冗談が通じる関係ならば、「え~いいな~ずるい~」なんて言うのもアリかもしれないが、時と場合を考えて、用法には気をつけたい。

 

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「擁護」

「犯人の今までの苦しみを考えると、殺したくなってしまった気持ちもわからなくはない」と言う人に、「殺人を肯定するのか!! 犯人を擁護するのか!!」と噛み付く人がいる。
「分析」「理解」「納得」「同情」「肯定」「共感」「擁護」はそれぞれ意味が違う。ひとつ当てはまれば必ず全てが付随する、というものでもない。
状況を分析し、犯人の行動に疑問点がないとか一貫性があるとか動機が充分にあるといったことから「状況を考えたら不思議ではない」と言っているだけなのに、区別をして考えられないと「共感して犯人の味方になっている、殺したのは正しかったと言っている、自分が同じ状況になったら同じことをすると宣言している」と勝手に思い込んでしまう。

また、問題を起こした芸能人に対し、それほど交友のないコメンテーターが「こういう理由があったのではないか」と推考しただけですぐに「擁護」とタイトルをつける芸能ニュースにも違和感を覚える。今ある情報から「推測」することと、かばって守ろうとする「擁護」は別ものだ。

 

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「批判」

「批判されるのはありがたいことだ、受け入れるべきだ」という話を耳にして、「批判することは良いことなのだ! 批判されて心折れるほうが悪いのだ!」と思って誹謗中傷しまくる人もいる。「批判」とはなんなのかわかっていないのだ。誹謗中傷は批判とは言わない。

批判とは何か - gatamaro-note

 

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「強い」「偉い」

「周りが恐れおののく、言うことを聞く」を全て「強い」「偉い」という言葉に括って覚えてしまうのも危険だ。ナイフや銃を持つと人々が怯えるのを見て「俺、強い」と勘違いしてしまう。脅威なのは凶器であり、「狂っているから何をするかわからない俺」であり、そんなことをしてしまう「俺」は強くも偉くもない。

言葉の意味や物事を正しく分類できないと、勘違いでとんでもないことをしてしまう。

 

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言葉を知っているかどうかで理解度が変わる

もったいない。懐かしい。ほっこり。

外国人が、母国になかった表現を日本語に見出して、
「この感情をなんて表現したらいいのかわからなかったけど、こう言えばいいのか」
「言葉を知ってから、ああ、こういう感情があるんだ、こういう考え方があるんだと認識できた」
と感動する場面に遭遇することがある。

逆に、日本語では一言で表現しにくい外国の単語もあって、そのままカタカナで遣われる言葉もある。例えばserendipityは「セレンディピティ」と訳される。日本語にするなら「思わぬ素敵な偶然や、予想外の発見に出会うこと(ができる才能)」。

言葉を知ると、「なんかよくわかんないけどすごい」という漠然とした感覚が、「そうか、これがセレンディピティか!」と明確になり、よりよく理解することができる。

目の前で起きたことや経験、自分の感情など、それを端的に表現できる単語を知っているか否かで、ぼんやりしたり、明解になったり、同じ物事でも理解度が変わってくる。

言葉を知っていれば知っているほど、また言葉を正しく知ることで、自分や他人の感情もしっかり理解できるようになる。

 

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言葉を知っているかどうかで判断が変わる

「羨ましい」と「ねたましい」を混同し、羨むことはよくないことだと思っていると、「いいな~」という感情が湧いてきたときに悪いことをしたような気持ちになってしまい、「ああ、また人を羨んでしまった……」と自分にガッカリするかもしれない。
しかし、自分よりいい思いをしている人を憎らしく思う「ねたみ」や、他人が持っているあらゆるものを自分も欲しくなってしまうような過剰な「強欲」でなければ問題はないのだ。
「楽しみたい、いい思いをしたい、幸せになりたい」と思うのは人間として普通の感情なのだから。

羨むこと自体は悪いことではないと知れば、心が軽くなるだろう。


言葉の認識が誤っていると、行動の善悪の判断までも変わってきてしまうということだ。

 

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用法を守って正しくお遣いください

言葉の分類を大雑把にしてはいけないと思う。

同じ意味のいろんな言葉を遣い分けなければダメだとは言わない(もちろん出来るに越したことはないが)
ただ、ニュアンスの違う言葉をきちんと遣い分け、違う意味の言葉を混同しないように注意することは大切だ。
同じ日本語を話しているはずなのに、言葉が通じないなんて恐ろしいことだから。

言葉の意味を分類できない人が、誤解をして怒りを爆発させる事例を沢山見てきた。
意味をきちんと覚えることで誤解がなくなり、不要な喧嘩は防げる。

 

なんだか話が噛み合わないな、と思ったとき、相手と自分の言葉の捉え方がズレている可能性がある。

一瞬でも「自分が間違っているのでは」「相手に悪意はなくて、言葉の遣い方を間違えているだけなのでは」と考えてみよう。

相手の発言を勝手に誤解して怒り狂う前に、自分の認識が間違っていなかったかどうか辞書をひいてみよう。